done’s diary

毒親育ちの過去と今、そして未来の話。

インフルエンザとレモン炭酸水。

どうも、娯楽サービス業で働く21歳です。

 

 

突然ですが、レモン炭酸水が好きです。

 

でも好きだけど、

飲むといつも嫌な思い出もセットで思い出します。今日はそんな話。

 

中学の頃、吹奏楽部に所属していました。

(途中で退部してしまったけれど)

 

毎年隣の県の私立高校との合同クリスマスコンサートがあって、その高校は先輩がたくさん進学している吹奏楽の強い学校ということもありとても楽しいBIGイベントでした。

 

一年の冬、2学期の終業式。

インフルエンザ大流行で学年閉鎖一歩手前。

僕自身も終業式終わりの部活前から熱が上がりフラフラだったので部活には出ずに帰宅。

 

 帰宅早々、当時休職中だった父に

『インフルかも?そんなん水飲んで寝たら治る』と言われそこでなぜか渡された伊賀の天然水 強炭酸 レモン味

 

冷えてすらいない常温の1ℓペットボトルを抱きしめて寒気と戦いながら布団に潜り込んだことを思い出します。

 

それから2日間熱にうなされ、熱が下がっても潜伏期間のために部活を欠席。

 

もちろん、お小遣いもなく病院に行くためのお金も貰えずに布団の中で過ごしました。

 

熱が下がった後に、副顧問に電話をすると

『インフルエンザなら吹奏楽部は特に感染拡大の恐れがあるから診断書をもってこい。そして熱が下がって3日は休め。』と。

 

部活(コンサート)に出たいので、

病院に行かせてください、お金をください。と父に懇願し、やっとの思いで近所の病院に行ったけれどすでに熱が下がっており、インフルの検査をしても意味がないよと、、、。

 

結果、診断書はもらえませんでした。

 

この時点で、すでにコンサート前日。

 

5日も練習を休み、リハーサルにも出てない。

診断書もない。

本番にはもう出れないなと諦め、欠席の連絡を入れました。

 

すると電話先の副顧問に『暗譜できてるよね?体調が良くなったんだったら本番だけでも出ておいで!』と。

 

喜んで行きました。

…これが良くなかった。

 

 

当日は、メンバー半数が電車移動。

残りはOBや保護者と車移動。

 

僕は電車組でした。

コンサート会場は最寄駅から徒歩25分。

 

その日はYouTubeやテレビカメラも入って総勢100人越えの僕史上1番大きなコンサートでした。

 

とっても楽しくてあっという間の2時間が終わって撤収作業中。

 

顧問に呼び出されました。

 

『練習もリハも来なかったくせになんで楽しい本番だけ来たんだお前』

 

開口一番の低い声。

昔から父に怒鳴られて男の人の怒った声が苦手な僕はもう、声が出ませんでした。

 

•(おそらく)インフルでした。

•副顧問が来ていいよって言った。

•本当は休もうと思ってた。

 

これくらい言えばいいのに、

どれも言うことができずにただひたすらに

ごめんなさいを繰り返した。

 

気がつけば、撤収作業は終わっていて、

ごめんなさいしか言わない僕に顧問も諦めたのか、もう帰れと言い残して去っていった。

 

しばらく、楽器を抱えたまま落ち込んで、

少し落ち着いた頃周りを見渡して焦った。

 

 

 

 

だって、誰もいない。

 

 

 

 

一緒に電車できた先輩も、

楽器の積み込みをしていた同級生も、

車で来ていたOBや顧問たちも。

見知った顔は1人もいなかった。

 

電車代を入れたICOCAはあっても、

現金もテレホンカードもない。

 

最寄駅まで徒歩25分。

方向音痴で元きた道を戻ることさえできない僕に1人で駅に向かうなんてできない。

最悪コンサート会場にも戻れずに街灯の少ない田舎道で迷子になる。

 

泣き顔腫らして、サンタ帽をかぶった中学生なんて誰も相手にしてくれない。

 

時刻はすでに20時30分。

中学生が1人で出歩いていい時間をとっくに過ぎてる。

 

会場の出入り口には、警備員さんがいて、

それがもう怖くて建物の中にもう一度戻ることはもうできなくて。

 

会場をでて、少ししたところにあるファミリマートに入った。

 

そこのおそらく大学生らしき男性店員さんはびっくりしたと思う。

 

クラブTシャツにサンタ帽をかぶって、

自分と同じくらいのサイズのトロンボーンケースを背負った中学生が泣きながら電話貸してください、なんて。

 

僕だったら通報してるね。

 

 

貸してもらった電話で怯えながら実家に電話した。

 

怒られる、と思った。

「なんでそうお前はいつも鈍臭いんだ」って。

 

違う、答えはもっと酷かった。

 

『お父さんお酒飲んでるからもう車出せないよ。え、お母さん?私にそんな遠いところまでこんな暗くて遅い時間に運転させるの?』

 

切れた電話。

 

––––––終わった。

 

他に覚えてる番号はない。

タクシーを拾うことも考えたけれど、

ここから家までどれくらいかかるか分からない。家に帰って親が起きてるか、お金をもらえるか分からない。

 

電話を貸してくれた店員さんにお礼を言って、

精一杯の笑顔で『親が迎えに来てくれるみたいです』なんて嘘ついて、店を出た。

 

そこから、あまり覚えてないけど、

フラフラ歩いて駅に着いたのが22時前。

 

確か、家に帰り着いたのは23時過ぎてたと思う。

 

泣きながら、帰宅して、

母に『遅かったね、これ晩ご飯』と渡された

冷め切ってパッサパサのチキンクリスプ/100円。

 

 

 

別に誰も恨んじゃいない。

 

ただ、ただ僕が、鈍臭くて要領悪かっただけ。

 

 

 

オーメンズ・オブ・ラブは今でも僕にとってのカプリチオだ。