done’s diary

毒親育ちの過去と今、そして未来の話。

イカれた食生活を紹介するゼ⭐︎

ヤァこんにちは、

今日も今日とて元気に社畜ちゃん。

 

娯楽サービス業で働く21歳です。

 

 

僕実は、ストレスが溜まると拒食気味になります、、、

 

なので体重の変動がとにかく大きく、

ひどい時にはひと月でプラマイ7kgほどにも。

 

 

って話は、おいといて。

 

職場で何故か丁寧な暮らしをしていると思われている僕。

訂正するのもめんどくさいので好きな食べ物はフレンチトーストとカボチャのサラダです♡って言ってある。

 

本当に好きなご飯ランキングTOP3は

 

油ギットギトの冷めた具なしナポリタンで食べる白米と。

 

味濃いめの屋台系焼きそばと食べる塩むすびと。

 

煮詰めた2日目の味噌汁をぶっかけた冷飯です。

 

なんて、育ちのでる食生活 笑

 

いや、まともに食事を与えられなかった実家は、

世間一般的にはおそらく富裕層に当てはまるらしいのでそんなご飯出てた覚えないけれど笑

 

いつからだろう、そして何故好きになったか分からないけど好きなんですよね、

 

趣味で燻製したり、ベーコン作ったり、

とても心が豊かな時は蒸籠蒸しのお野菜で晩ご飯〜とかしたりするんですけど。

 

仕事が繁忙期だったり、

とにかく忙しくて繁忙期になると、

太めのパスタをレンチン容器につっこんで、

コンソメとケチャップとニンニクチューブと水、オリーブオイルでギットギトの具なしナポリタンを気がついたら召喚してる。

 

それさえ作ればこっちのものです。

あとはさましながら、お鍋でご飯炊いて(炊飯器ないので)蒸らすのを待つ間にお風呂入って。

 

食べたらねるだけの状態に整った頃には、

いい感じに冷めた油ギットギトのナポリタンの完成です笑

 

多分今日この世で一番、油ギットギトのナポリタンって打ってるのは僕だと思う。

 

まじで栄養素0の炭水化物×炭水化物。

健康要素ぜろなのでおすすめはしませんが。

僕の心は豊かになります。

 

炭水化物×炭水化物って至高の食べもんだからな。いやまじで。

 

ランキングには入れてないけど、

エビグラタン×胡桃パン とかもいいよね。

生きとし生けるもの全てに愛を

注いでられっかばーーーか!!!

 

というわけで、どうもこんにちは。

娯楽サービス業で働く21歳です。

 

最近、というか

薄々気づいてはいたんですけど

人間って結局自分の好きな人やこと、ものにはとことん甘いし苦手意識のあるものや興味の薄いものに対してはとことん適当ですよね。

 

この溢れて有り余る情報社会で

自分にとって何が大切で有意義なのかを常に取捨選択して生きてる。

 

毎日が分岐点で運だめし。

 

なーんて、自己啓発本のあとがきみたいなこと書いてみる。

 

まぁでもこれが、俗に言う正解だったりするんだろうなとも思ったり。

 

というのも、以前の記事にも書いたけどこの4月から前まで以上に本格的に新人教育/アルバイト教育の担当をしていてこれがまた辛い。

 

後輩たちを好き嫌いしてはいけないのはわかっていてもやっぱり、物覚えがよかったり人懐っこい後輩は可愛いし、何度も同じ失敗を繰り返す子にはイライラしたりするわけで。

 

昔から『自分でやった方が早いし..』という思考が強めの僕には人事育成とか向いてないなと思う日々。

 

その中で、すんごいカッコつけたことを今からいうんだけど、

 

後輩ちゃんたちにいつだって選択肢を与えられる先輩でいたいなと。

 

今の会社に入って最初の教育係だった人は正直合わなくて。

僕自身も子供だったというのもあるけれど根本的に考え方が全く違う人だったから、吸収しようと頑張っても辛くて。

 

そんな中2年目の頃からお世話になった先輩が、仕事の向き合い方を一緒に考えてくれた人だった。

 

1個2個、3個先まで手があって、その上でこれやってみたら?ダメだったね、じゃあ次はどんな手がある?お、いいね。やってみよう。って。

 

分からないことがあったら一緒になって考えてくれる人で結果がでなくても過程をちゃんとみてくれてて。そんな先輩に憧れて、なりたくて。

 

今の僕は、人に教える立場としてまだまだだけれど、少しずつでも先輩がしてくれたように後輩と同じ目線になってこうしようああしよう、一緒にやってみよう、そういえる人間でありたいですね。

 

 

 

インフルエンザとレモン炭酸水。

どうも、娯楽サービス業で働く21歳です。

 

 

突然ですが、レモン炭酸水が好きです。

 

でも好きだけど、

飲むといつも嫌な思い出もセットで思い出します。今日はそんな話。

 

中学の頃、吹奏楽部に所属していました。

(途中で退部してしまったけれど)

 

毎年隣の県の私立高校との合同クリスマスコンサートがあって、その高校は先輩がたくさん進学している吹奏楽の強い学校ということもありとても楽しいBIGイベントでした。

 

一年の冬、2学期の終業式。

インフルエンザ大流行で学年閉鎖一歩手前。

僕自身も終業式終わりの部活前から熱が上がりフラフラだったので部活には出ずに帰宅。

 

 帰宅早々、当時休職中だった父に

『インフルかも?そんなん水飲んで寝たら治る』と言われそこでなぜか渡された伊賀の天然水 強炭酸 レモン味

 

冷えてすらいない常温の1ℓペットボトルを抱きしめて寒気と戦いながら布団に潜り込んだことを思い出します。

 

それから2日間熱にうなされ、熱が下がっても潜伏期間のために部活を欠席。

 

もちろん、お小遣いもなく病院に行くためのお金も貰えずに布団の中で過ごしました。

 

熱が下がった後に、副顧問に電話をすると

『インフルエンザなら吹奏楽部は特に感染拡大の恐れがあるから診断書をもってこい。そして熱が下がって3日は休め。』と。

 

部活(コンサート)に出たいので、

病院に行かせてください、お金をください。と父に懇願し、やっとの思いで近所の病院に行ったけれどすでに熱が下がっており、インフルの検査をしても意味がないよと、、、。

 

結果、診断書はもらえませんでした。

 

この時点で、すでにコンサート前日。

 

5日も練習を休み、リハーサルにも出てない。

診断書もない。

本番にはもう出れないなと諦め、欠席の連絡を入れました。

 

すると電話先の副顧問に『暗譜できてるよね?体調が良くなったんだったら本番だけでも出ておいで!』と。

 

喜んで行きました。

…これが良くなかった。

 

 

当日は、メンバー半数が電車移動。

残りはOBや保護者と車移動。

 

僕は電車組でした。

コンサート会場は最寄駅から徒歩25分。

 

その日はYouTubeやテレビカメラも入って総勢100人越えの僕史上1番大きなコンサートでした。

 

とっても楽しくてあっという間の2時間が終わって撤収作業中。

 

顧問に呼び出されました。

 

『練習もリハも来なかったくせになんで楽しい本番だけ来たんだお前』

 

開口一番の低い声。

昔から父に怒鳴られて男の人の怒った声が苦手な僕はもう、声が出ませんでした。

 

•(おそらく)インフルでした。

•副顧問が来ていいよって言った。

•本当は休もうと思ってた。

 

これくらい言えばいいのに、

どれも言うことができずにただひたすらに

ごめんなさいを繰り返した。

 

気がつけば、撤収作業は終わっていて、

ごめんなさいしか言わない僕に顧問も諦めたのか、もう帰れと言い残して去っていった。

 

しばらく、楽器を抱えたまま落ち込んで、

少し落ち着いた頃周りを見渡して焦った。

 

 

 

 

だって、誰もいない。

 

 

 

 

一緒に電車できた先輩も、

楽器の積み込みをしていた同級生も、

車で来ていたOBや顧問たちも。

見知った顔は1人もいなかった。

 

電車代を入れたICOCAはあっても、

現金もテレホンカードもない。

 

最寄駅まで徒歩25分。

方向音痴で元きた道を戻ることさえできない僕に1人で駅に向かうなんてできない。

最悪コンサート会場にも戻れずに街灯の少ない田舎道で迷子になる。

 

泣き顔腫らして、サンタ帽をかぶった中学生なんて誰も相手にしてくれない。

 

時刻はすでに20時30分。

中学生が1人で出歩いていい時間をとっくに過ぎてる。

 

会場の出入り口には、警備員さんがいて、

それがもう怖くて建物の中にもう一度戻ることはもうできなくて。

 

会場をでて、少ししたところにあるファミリマートに入った。

 

そこのおそらく大学生らしき男性店員さんはびっくりしたと思う。

 

クラブTシャツにサンタ帽をかぶって、

自分と同じくらいのサイズのトロンボーンケースを背負った中学生が泣きながら電話貸してください、なんて。

 

僕だったら通報してるね。

 

 

貸してもらった電話で怯えながら実家に電話した。

 

怒られる、と思った。

「なんでそうお前はいつも鈍臭いんだ」って。

 

違う、答えはもっと酷かった。

 

『お父さんお酒飲んでるからもう車出せないよ。え、お母さん?私にそんな遠いところまでこんな暗くて遅い時間に運転させるの?』

 

切れた電話。

 

––––––終わった。

 

他に覚えてる番号はない。

タクシーを拾うことも考えたけれど、

ここから家までどれくらいかかるか分からない。家に帰って親が起きてるか、お金をもらえるか分からない。

 

電話を貸してくれた店員さんにお礼を言って、

精一杯の笑顔で『親が迎えに来てくれるみたいです』なんて嘘ついて、店を出た。

 

そこから、あまり覚えてないけど、

フラフラ歩いて駅に着いたのが22時前。

 

確か、家に帰り着いたのは23時過ぎてたと思う。

 

泣きながら、帰宅して、

母に『遅かったね、これ晩ご飯』と渡された

冷め切ってパッサパサのチキンクリスプ/100円。

 

 

 

別に誰も恨んじゃいない。

 

ただ、ただ僕が、鈍臭くて要領悪かっただけ。

 

 

 

オーメンズ・オブ・ラブは今でも僕にとってのカプリチオだ。

 

遊園地のお姉さん。

初めまして、あるいはこんにちは。

 

どうも、娯楽サービス業で働く限界女です。

 

ちょこちょこ記事に書いていますが、

地方遊園地でジェットコースター系のアトラクションのお姉さんをしています。

 

今日は、補聴器の話。

 

補聴器のお客様への対応ってどうすればいいか迷う。

 

イヤホンは有線無線に限らず一律NG。

 

補聴器をイヤホンと一緒にするのはよくないと思うが、過去には『絶対に落とさないから!』と言っていた方がご乗車中に補聴器を片方無くされて捜索のため営業中断…なんてことも。

 

結局、3時間半の捜索の末発見し、事なきを得たのですがそんなことになるのなら乗る前に外してほしいと思ったり。

 

かといって、一律で外してくださいなんて言えない。

 

有事の際、聴覚的情報が完全遮断されると考えるとこわいよね。

 

何かなくても、補聴器があれば少しでも拾える情報を拾えなくなるって怖いと思う。

 

どのように声掛けをしたら不快にさせないか。

 

耳にかけるタイプや、耳の穴に差し込むタイプ。

骨伝導のように耳の後ろに貼り付けるタイプや、集音器の類のもの。

 

色々あると思う。

 

どんな人にでも楽しんでもらいたいわけで、

むずかしいなぁ。

 

 

 

 

初めまして、あるいはこんにちは。

自己紹介だなんて改めて書き出すと恥ずかしくなるね。

 

僕の名前は、ぷてぃ。

空っぽの"empty"と

フランス語で小さき人"petit"

 

『何も持つことを許されなかった幼い頃の自分へ、今の自分が贈りたい言葉』をテーマにこのブログを始めました。

 

関西生まれ関西育ちの20代女性です。

 

目に見える暴力はないけれど、

精神的な虐待を受けて育ちました。

 

17才の時年の離れた姉を頼り、実家を脱出。

親権停止の審判を経て、両親と完全離縁。

今はゆっくり解毒中です。

 

 

 

 

 

ぷてぃ 20代 女性

一人称→僕。

娯楽サービス業勤務の機械整備士。

自動車整備や機械設計を専門とする学校を卒業しています。

 

長姉とは9歳、次姉とは7歳離れた三姉妹末っ子。

 

両親は次女のみを可愛がる典型的な姉妹格差の中で育ちました。

 

11歳の頃、長姉が実家を出て独り立ち→のちに結婚。

その姉と姉の旦那さんを頼り17歳の時に家を出ました。

 

親権停止処分申立→姉に未成年後見人になってもらい両親の親権停止処分→20歳成人。

 

現在は地方で悠々自適?の一人暮らしをしています。

 

毒親や姉妹格差、実家を出るまでと出てから。

そして今、これからをどう生きるのか。

そんなことを気ままに心の整理も兼ねて書きます。

 

よろしくお願いします。

 

心の虐待児

僕は虐待児。

 

なんて書き出し衝撃的すぎるだろ。

 

僕は前の記事にも書いたけど、

割と稀有な人生を送ってきた。

 

それは、親による虐待や教師による体罰

いじめ、児相に駆け込んで保護してもらったり、

家庭裁判所で親の親権停止の申立をしたり。

 

そんな話をこれから少しずつにはなるけれどしていこうと思う。

 

まず初めに言っておくが、僕は一度も実の両親からぶたれたことなんてない。

 

それがなんで、虐待児になるかって?

 

精神的虐待を17年間受けたから。

 

 

昨今流行りの言葉で言うなら僕は、

親ガチャに失敗した毒親育ちのADHD児。

 

 

こうして文章にするには自分の過去と向き合う必要があって怖かったのだけれど。

 

実家を出て、実の両親と縁を切って4年。

そろそろ自分の心に折り合いをつけるために、

生い立ちから家を出て縁を切るまで、そして今現在までを少しずつ書き起こしていこうと思います。

 

そういえばブログで自己紹介すらまともにしてないな笑

 

まずは自己紹介記事から頑張ってかいていきますね。

 

りんごがすきな話

突然ですが、僕は祖父の生まれ変わりだそうです。

 

などと自虐ネタから始まる強烈な今日のブログ。

 

僕は、祖父と会ったことがありません。

父方の祖父も、母方の祖父も生まれる前に亡くなりました。

 

ひとつひとつ詳しい経緯を離すと長くなるのでだいぶ端折りますが、、。

 

僕が生まれる前、両親と姉たちは父方の祖父母と同居していました。

 

祖父はどうやら、暴力を振るうタイプの人だったらしいのですが、初孫である長姉のことは溺愛していたようです。

 

その他にも色々事情はあったのですが、僕が生まれる一年ほど前に父は家を買い同居を解消、引っ越してすぐに祖父は亡くなりその後に僕の妊娠が発覚したようです。

 

そんな中妊娠報告をした母に祖母が放った一言が、僕が生まれてから家をでるまでの17年の間母と僕を苦しめました。

 

『『おじいちゃんの生まれ変わりね!』』

 

それを聞いて母は父に泣きついたそうです。

「お腹の子が男の子だったら堕したい」

 

幸い僕の性別が女の子だったことと、その時母は35歳で子供を産むならラストチャンスだということで僕は生まれてきました。

 

「男の子だったらあんたは生まれてなかった」

なんて話を若干3才の頃からことあるごとに言われる家庭環境もどうかと思うのですが、その言葉は家を出て両親と縁を切った今でも呪縛のようにまとわりついて離れません。

 

年の離れた姉はおじいちゃんっ子だったこともあり、祖父のいい話も悪い話も教えてくれましたが、一度も会ったことのない僕には祖父は遠い存在の人だし、そんな人と似てるところを見つけては蔑まれて実の両親から嫌われて苦しい思い出しかありません。

 

僕はりんごが果物のなかで1番好きだけど、

生前祖父もりんごが好きだったそうで

りんごが好きだと言えば『そういうおじいちゃんにそっくりなところ大嫌い』と母に睨まれなぜか泣かれ、おかげで実家では僕はびわと柿が好きなちょっと変わった娘であり続けました。

 

僕にとって会ったことも話したこともない祖父との些細な共通点を見つけては、実の母に「嫌いだ」と泣かれる日々は馬鹿馬鹿しくて反抗する気にもなれずに心が腐っていく感覚だけが残る。

 

そうやって嫌いだ、気持ち悪いと蔑むくせに母はことあるごとに言いました。

 

「せっかく産んであげた体なんだから、ピアスと刺青、自殺だけはしないで」と。

 

「自分の体を傷つける様なことをしないで」と。

 

そして父も、

「タバコはやめとけ。クズになる」と。

 

馬鹿みたい。

家を出る直前に、母の目の前でニードルでピアスをぶちあけました。

 

あれが、最初で最後の精一杯の反抗だったのかもしれません。

 

今でも、母の言葉が蘇るたびに、

電車に飛び込みそうになります。

ビルから飛び降りたくなります。

 

一人暮らしで、自由にりんごを齧れるのに、

りんごを手にするたびに、

「結局おじいちゃんの生まれ変わりなのね」という母の声が蘇って買うのをやめてしまいます。

 

 

 

 親と縁を切って4年。

書類上での繋がりが消え去っても、

呪縛から解き放たれるまではまだまだかかりそうです。