done’s diary

毒親育ちの過去と今、そして未来の話。

カウンセリングの話

カウンセリングって受けたことありますか??

 

スクールカウンセリングでもいいし、心療内科や精神科でもいい。

 

心のケアって言うと身構えてしまうかもしれないけど、友人でも家族でもない誰かに思ってること溜め込んでることを話せる場所って大事だと思うんです。

 

またいつか整理して書こうと思うけど、

僕は自分で言うのもなんだけどこれまでの人生、少しばかり稀有な経験をしてきました。

それは嬉しいこと楽しいことなら嬉々として

書くんだけど...まぁそうじゃない。

 

割と人生に絶望していましたし、

正直死にたいと思ったこともあります。

 

それでも幸運なことに僕の話を聞いてくれる人がいつでもいました。

 

それは、歳の離れた姉であったり姉の旦那さんであったり、学校の先生であったり。

そして、カウンセラーの先生であったり。

 

スクールカウンセリングって知ってますか?

 

全部の学校、いつでも、というわけではないそうですが非常勤の先生がいる学校も多いそうです。

 

僕がいた小学校では担任の先生ないしは、保健室の先生に申請を出さなきゃいけなくて、それがまず苦痛でした。もしクラスの悩みとかだと申請しにくいよね...そういうのがハードルのひとつになるからもうちょっとこう...といつも思ってましたが。

 

結局、小学校の頃はスクールカウンセリングは利用しませんでしたが中高とその制度にはとてもお世話になりました。

 

学校の先生(成績とかはもちろん非公開だし授業をみるわけでもない)じゃないし、友人知人でもない。でもどこか近い存在の人に沢山話を聞いてもらえるというのは確かに心の支えだったんですよね。

 

同情されたいわけじゃない。

アドバイスが欲しいわけでもない。

ただただ話を聞いてもらいたい。

 

そういうワガママを聞いてもらえる場所って貴重で嬉しかったんだと思います。

 

最近では、

LINEなどのSNSでもそういうサービスってあるけれど変なやつも多いです。

 

渡されたQRコードを読み取ると出会い系アプリに飛んだりとか...

(学校近くの駅前とかで普通にチラシ配ってる)

 

本当に悩んでる子って『こんな小さなことで..』とか思ってる子多いんです。

そういう子こそカウンセリングを利用して欲しいと思うけれど、変なアプリが多いのも事実。

 

警察が配ってる、相談窓口(匿名)にもカウンセリングに特化したものもあります。

 

悩んでる子こそ自分の心の拠り所を見つけて欲しいなって思う今日この頃です。

社会の縮図と人となり

僕が働く場所って少し特殊。

 

赤子からお年寄りまで沢山集まる場所。

 

日常の延長線であり、非日常。

娯楽を提供する場所。

 

まぁすっげぇ簡単に言うと遊園地です(最初からそう言えや)。

 

遊園地って本当に色んな人が集まる。

家族連れはもちろん、カップルに学校団体。

社員旅行や子供会(自治会)に各種団体まで。

 

その中でも、

ファミリーって人間が経験する1番最初であり1番小さな社会の縮図そのものだと思うんです。

 

お客様と接する中でその社会の一端を覗かせてもらうことが多々あるんだけど、これがまた面白い!!

 

 

小さな子どもが母親に向かって言うんです。

『遅いねん!何をちんたらしてんの?早くしてーー!』とか『だから言うてるやん!なんで持ってへんの!』ってね。

 

子どもって、親の映し鏡そのものなんだなぁと思う瞬間です。

 

柵によじ登っている子どもに、危ないよって声をかければ『ほらお姉さん怒ってるで!やめや!』って言われるんです。

 

いやいやいや、親が声かけろ?????

スタッフが怒ってるからじゃなくて、危ないよって親が教えるべきでは??

 

と思うのは、まだ僕に子どもがいないからでしょうか。

 

毎日そんな瞬間に出会いながら、

反対に僕にとって素敵だなぁと思う部分も沢山あって...

 

互いに競い合いながら互いを讃える少年たちや一緒だから怖くないよ!とジェットコースターで手を握り合う小さな姉妹。

やったね!!頑張ったね!!とハイタッチをする親子。

 

喫煙禁止エリアでタバコ吸ってるジジィの相手も、利用規約を読まないおばさんの相手も頑張れるものです....

文章が、書きたい!!!

なんだかとっても文章が書きたい気分。

言葉を発するってめっちゃ気ぃ使わん?

喋りたがりなくせにコミュ障な僕は、

いつも脳みそで考えることの3割しか口から出せない。

 

でも、本当はまだまだ喋りたいんだ..(3割でも結構喋ってるでっていうツッコミはなしでお願いします)

 

Twitterのように手軽に思いのまま垂れ流せるのも言いけれど、圧倒的に文字数が足りないんだ。

 

てなわけで、誰も見ないかもしれないここに書きます。飽きるまで。

 

SNSって面白い。特に、Twitter

気軽に、手軽に、何も考えずに自分の言葉なりなんなりを垂れ流せる分その人の性格が出やすいんだと思う。

 

誰の言葉でも、画像でも、動画でも

今目に映ったものをそのまま飲み込むのって簡単だけど難しいよね。

 

情報って結局物事の一部分しか見えなくて、

切り取られて誤解されて、広まってく。

 

面白いなぁって思う。

上で書いたように、目に映ったものをそのまま受け入れるってめっちゃ簡単。

でもそれってただの思考停止だよね。

 

一部分でしかない、情報を少しずつ集めて、

多角的に見ることができた時にはじめて

物事の全体像がみえてくるわけで。

 

そんなことが苦手な人、できない人ってのが

ネット上には沢山いる。

 

いやはや、『人の思考』に触れるって、

なんとも奥深いですね。