見知らぬ子に噛み付かれた
どうも、娯楽サービス業で働く21歳です。
仕事柄、ひらがなで大きくかかれた名札を身につけているのですが、割とめずらしい&小さな子でも発音しやすい苗字のせいかよく名前を呼ばれます。
別にそれ自体はいいんですが、
中にはわざと嫌味を言うために名前を呼ばれることもあり昨今の名札制度ってどうなのかなぁと思ったり、、、
お客様アンケートなどで名指しで書かれると言うのは『嬉しかったこと』ならまだいいですがクレームだと悩みどころ。
クレームを出す方が悪い!態度が悪かったんだろ!と言われればそれまでですが、世の中にはいろんな考え方の人がいるわけでどれだけ対策してどれだけ気をつけていても行き違いや理不尽には遭遇するものです。
社外には出ないお客様アンケートならまだしも、
ネット上のクチコミサイトなどに従業員の名前がそのまま記載されていたりするとそれはちょっとな、、、と。
さて、タイトルに戻りますが、
先日仕事中に小学校低学年のお子様にいきなり噛み付かれました。
以前の記事にも書きましたが、
コースター系のアトラクションを担当しております。
事前にアナウンスを強化していますが、
中にはスマートフォンなどで乗車中に撮影し出したり安全バーをすり抜けようとしたりする方もいます。
先日も出発前に安全バーのロック確認を行なっていたところお子様が安全バーをすり抜けようとしていました。
怖くなって降りたくなったのかと思い、
確認をしたところそうではなくて、よりスリルを味わいたいのだ!と言った趣旨の返答が返ってきました。
ですが、その状態だとバーから完全にすり抜けていたため落下の恐れがあり出発することができません。
なるべく威圧的にならないように心掛けながら説明をしたのですが、一瞬でもその子から目を離すと何度も安全バーからすり抜けてしまうため出発させることができず、周りを見渡してもその子のお連れ様や保護者の方もおらずで、、。
春休み期間ということもありお客様も多い日だったので、
『このままでは出発できません。最後までしっかり座っていただくか、それができないのであれば降りてください。』という趣旨の説明をしたところ ガブッッと。
右手の小指の爪全部持ってかれました。
こっちもびっくりですが、噛んだ方も僕の手から血が出ているのをみてびっくり。
そのまま大人しくなったので、もう一度だけ注意事項をお伝えして出発させました。
その後は何事もなく帰られましたが、
念のためにと上司に報告をしておきました。
そしてその日の夕方頃、案の定と言いますか、、。
『子供がコースターのスタッフに怒られたと泣いて帰ってきた。どういうことだ!!』という問い合わせが、、。
保護者の方に事情を事細かく説明したところ、
『それならうちの子供が失礼しました』
と納得していただけたので良かったのですが、
過去には同じような事象で大クレームになったことがあるようで内心ヒヤヒヤでしたね。
遊園地。という非日常の娯楽を提供する場で
こちらとしてもガミガミ口うるさく注意するようなことはしたくないのですが、やはり安全にお楽しみいただくにはルールがあるということ、ものによってはルールを守っていただかないと命の危険があることを理解してもらいたいなぁと思います。
遊園地だから事故なんてありえない。
こんな場所で怪我するなんてありえない。
そう思われやすいのですが、
それはオペレーションスタッフが、
整備スタッフが常日頃から目を光らせているからということ、そしてお客様自身のご理解とご協力の上成り立っているということをたくさんの方に知ってもらいたいものです。
丁寧な暮らしってなんぞ
僕は職場でなぜか、ミニマリストで丁寧な暮らしをしていると思われている(白目)
なぜそうなったのかいまだに分からないけれど
『お休みの日は朝早くからお部屋の掃除してカフェでモーニングして岩盤浴やサウナで整ってるんですよね?』
ということになっている。
前日の夜から明け方までゲームして昼過ぎまで爆睡し、15時ごろにもそもそ起きてコンビニにビールとアメリカンドッグをほぼパジャマみたいなスウェットで買いに行っているという事実を未だ信じてもらえない。
部屋の掃除、、?
シンクには洗ってない皿が放置されていますが?
引っ越した時に張り切ってオシャレゴミ箱、
なんか生活感をなくす!みたいなやつ買ったけど結局めんどくなって市指定のゴミ袋そのまま部屋に広げてますけど?
虫湧いてこなきゃ、カビ生えてこなきゃ、最悪病気にならなきゃオールオッケーくらいの意識で生きてる。
ミニマリストとよく言われるが、
とにかく掃除嫌いだから狭い部屋がいいと思って小さい部屋を選んだし、正直に言うと生活に必要なものがそこまで揃っていないだけ、、、
ミニマリストだとか語感のいい言葉で誤魔化そうだなんて、照れちまう。
生活に必要なものが揃ってないで言うと、
引っ越して2年。ついに最近やっと机を買いました。
キッチンにカウンター的なものが付いているのをいいことにニトリで1000円の折りたたみ椅子だけ買って2年そこでご飯食べたり勉強したりしてましたw
人間割と机などなくても生活できるものですね。
真っ白なローテーブルを買ったのだけれど、
そうすると今度は座椅子かクッションか欲しくなった。
ひとつ物を増やすとそれに付随して欲しいものが増えてくるから困ったもの。
小さなローソファーにするか、座椅子にするか、それとも人をダメにするクッション的な、ヨギボーみたいなのにするか。
もうしばらくは悩んでみようかな。
そうそう、話は戻るけどミニマリスト的な思考で言うと炊飯器と電気ケトルを捨てた。
どちらも、一人暮らしを始めたときに家電セットで付いてきたものだったのだけれど、
炊飯器は元々黒豆を炊くか、甘酒を炊くかにしかつかってなかったし、ケトルに関してはなぜか水が不味くなる。
水道水でも市販のペットボトルの水でも汲んできた湧水でもとにかくそのケトルを使って沸かすとまずくて不味くて飲めたもんじゃない。
クエン酸で掃除してみたり色々試したけど、
どう頑張ってもまずくてケトルはさよならしました。
今は、土鍋でご飯を炊くし、お鍋やコーヒードリップ用の先が細い湯沸かしを使っています。
口に入れるものは妥協したくない、
変なこだわりの強いズボラな21歳です。
包丁にこだわりはないのに、
鍋はたくさんあるってのもおかしな話ですよね。
最近流石に研いでも研いでも包丁の切れ味が悪いので、これも同じく一人暮らしを始めた時にテキトーに買った500円の三徳包丁を手放す時かなと思っています。
子どもの一人行動
子どもを一人で、もしくは子ども同士だけで行動させるのって何才から許容できますか??
遊園地で働いてる僕が、常日頃思うこと。
自分の行動の責任をとれない子どもを、
自分の行動の善し悪しを理解できてない子どもを1人にさせるな。
四六時中ずっとずっと目を光らせて離さないなんてことができると思ってない。
子どもって自分の興味あることにまっしぐらだから、自ら走って死にに行くようなもんだろそれ!!みたいな行動を突然したりする。
それもわかってるけど。
それでもたった4、5才の子どもに、小学生の子どもに広い遊園地で『遊んでおいで~』なんて手を離せる理由がわからないです。
『お母さんに遊んでおいでって言われた!親どこにいるかわかんない!』そう言って迷子になっている子を毎日のように保護してる。
もちろんただ純粋に親とはぐれてしまったという子もいるけど、
中には怪我してしまったり、ほかのお客様とトラブルになったり....そういう理由で保護者を探さなきゃいけないなんてことも実際多く起こるわけで。
正直怖くないですか?
自分の子どもが、自分の知らないところで何をしているか分からないって。
保育園や学校なんかもそうだろと言われればそうかもしれないけどそういう教育機関って少なくとも周りの人や環境を互いに認知しているわけで、それがお店や娯楽施設になるとわけが違う。
従業員が安全を保持しているとは言え、非日常の環境で自分たちに害をなす存在が絶対いないなんてどうして思える?
もし子どもを遊園地で一人行動させてて迷子になってそのまま見つからなかったら?
誘拐されたら?駐車場にでてしまって車にひかれたら?
自分の知らないところで、自分の子どもが初対面の人を怪我させたら?なにか物を壊したりしたら?禁止されてるエリアに入ったり危ないことをしたら?
公共の場で、保護者の目が届かないってそういうことなんじゃないだろうか。
どれだけ従業員が気をつけていても、
僕達スタッフはその子たちの親じゃない。
起こってしまったこと、目の前で起こりうることにしか対応できない。
そういうリスクを考えないで、
子どもに一人歩きさせることを今一度考えてほしいなぁと思います....。
教えるって難しい
遊園地で働いているというと某ねずみの国や某エンターテイメント系パークやらとても華やかなイメージを持たれることが多い。
僕が働いているところは地方だけど、知名度だけで言えばそれなりにある方だし面白いところだと思う(身内目線なしでね。)
小さいところから好きだった場所で働くというのは素敵な夢の実現だったし、憧れて入ったこの場所で自分も輝きたい....!!!だなんてそんな甘い妄想に浸っていた高校生の自分を今となってはぶん殴りたい。
ある種のヲタクが聖地に就職したようなもんで、世界観や自社キャラクター、グッズなどなど収集癖のある僕が社内で浮いたのは入社3ヶ月だった。
しかも入社したのは2020年。
コロナ第1波のあの荒れに荒れた1年だったわけで、入社してすぐに休園になり慣れないひとり暮らしの社宅で暇を持て余す毎日を過ごして待ちわびた仕事が始まって1ヶ月。
世界観とかそういう質問をすれば先輩たちに『そうなんだ?私知らなかった~』とのんびりした返事がかえってくる。
泣きたくなった。小さい頃みていたキラキラ輝いていたあの乗り物は、この世界観は、かっこいいお兄さん、可愛いお姉さんはどこに行ってしまったのか。僕はそんな場所で働けるんだとこんなにも期待していたのに。
なーんて悲観に暮れることができたのも一瞬。
僕は高卒からの入社で今年の4月でやっと4年目。
だけど、入社してすぐ遊園地で接客を担当するオペレーションではなく、アトラクションの機種保全や整備点検業務、システム維持を担当する部署に配置になったから覚えることは沢山あったし、『史上初の女性整備士』だなんて言われて浮かれちゃったり。
でも1年目のペーペーの僕がオペレーションの先輩方から『整備士さんだから』という理由だけで判断や責任を任される。気の抜けない毎日でそれでも好きな場所で働けることが嬉しくて嬉しくて。
色んな感情に流されないように必死で勉強してきた。
そしてまる3年経って思うこと。
『僕、多分人と働くの向いてない。』
いや、ごめん。
僕が対人関係向いてないのなんて社会人になる前からずっと昔から知ってた。それはもう、クソみたいな家庭環境で育ち小中と割と悲惨ないじめを受けてきたあの日から知ってたけど、それが明確に鮮明になった。
認めたくなかった事実がハッキリくっきり浮き彫りになってしまったって感じ。
色んな感情を抱えながら、その感情たちを1割も表に出すことは出来ずに許されずに毎日ニコニコお客様や同僚たちと向き合う日々を過ごしてます...。
そこでやっとこさ本題に入るのだけど、
前置き長すぎてここまで読んでくれた人ありがとう。
1年目から人に教える/伝える立場にたったけど本当に難しい。
インプットすることと、アウトプットができるかは違うし。
何せ、高卒。
今までずっと教えを享受する側にいたわけで、逆に言えばじっと真面目に相手の話を聞いていればいい立場だったのだ。
そこで突然教える側に変わって何が出来る....?
沢山考えて、資料を作って、沢山の言葉を使って伝えた。そして伝わらなかった、分かってもらえなかった。
悲しくて悔しくて、その度に思う。
『正直言ってわかんないやつに教える時間もったいない。だって、自分がやった方が早いもん。』
上司たちに、言いたいことはわかるけど、それじゃあ人は育たない。相手を育てる立場のいることを忘れないで欲しいと何度も叱られた。
悔しい。悔しい。何度伝えても分からない。教えたことをやるのは一瞬だけで1ヶ月後には誰もやってくれない。覚えていない。
教えることになんの意味があるんだ。
未だに答えは見つかってないけど、
それが同僚たちの思う、
社会のあり方なら、上手な生き方ならもうそれでいい。
馬鹿みたいに、口うるさく言ったってどうせ嫌われるだけで。伝えても伝えてもわかってもらえないなら自分のできることを大事にしよう。
自分で思う『1番輝いている僕』でいるために、僕自身は手を抜かないように。
生き方をまなぶ、とは。
家庭って1番最初に触れる社会の縮図って話を前に書いたのだけれど、家庭の次、ネクストステージは小学校の教室だと思う。
小学校の時の友人って今どれだけ連絡をとってるか.....? 答えは0である(こいつ友達いねーなって思ったろ?正解だ。)
クラスを30人として分類分けしたら、
とても仲がいい 3人
↑の子達が仲良い子 6人
話すけれど校外で約束するほどではない 10人
その他10人 くらいのコミュニティだと思う。
(僕の個人的偏見と経験を含む)
その中で日々を過ごすうちにその平凡を脅かす、崩すことができる存在がある。
それは、ジャイアンでもガキ大将でもない。
『担任』あるいは『教師』という存在。
特に、小学校などでは子どもたちに1番近い大人は導く存在であると同時に、支配することができる存在であることを忘れないでほしい。
子どもたちの輪の中で、どれだけの序列ができようとも同じ『子ども』という括りの中でどこか越えない一線というものが確実にある。
その一線を軽く越えてしまうのが教師だったりする。
もちろん導いて守ってくれる教師が大半ではあるけれど、中には白いものを黒くする人だっているわけで、『大人』と言うだけで子どもたちには大きな圧になる。
クラスで少しばかり浮いていても少なからず友達がいてそれで良かった毎日が教師の一言で変わってしまう。僕はそういう経験を実際にして、大人って汚いなって子供心に思ったのを今思い出す。
教室という小さなコミュニティの中で、
担任という存在は絶対的であり治外法権をも生み出す。
あぁこれって違うんじゃないかな?なんて疑問を持つことさえも許されずに今の日本社会では個性を大事になんて名ばかりに義務教育という大義名分を掲げて思考をみーんなまとめて四角く刈り取る。
おかしいんじゃないか、なんて声をあげれば白い目で見られる。
初めての社会がそんなんだから、
『足並み揃えて歩くこと』が当たり前になって
悪目立ちすれば社会的制裁だのなんだの体よく晒されて消される。
いじめとやらの甘い言葉で片付けられて、
『学校側も把握してませんでした』なんて白々しく泣いてみせて。
そうやって犯罪がもみ消されていく。
もちろんそんな人ばかりではないけれど、
そういう教師たちが物語の中だけじゃないのもまた事実なわけで。
じゃあどうすればいいのか。
それは『信頼出来る人間』を1人でも見つけること。
根本的解決にならないことは分かってる。
それでも極端な話、自分が死なない為に頼れる人を持つことはとても大事。
教室だ、小さな社会だって話の中でそんな大袈裟な...と思うかもしれないけど本当に些細で日常のその辺に生死のスイッチって転がってる。
昨日まで普通だった教室が、家庭が、今日から地獄に変わることだってある。
その中で、自分にとって信じても大丈夫な人を持って欲しい。
前に書いたように、カウンセラーの人でもいい。親じゃなくても、教師じゃなくてもいい。
あなたが死んで悲しんでくれる人を、1人でも見つけることがこの世界を、そしてクソな社会を生きるために必要なことなんじゃないかな。
ルールの意味を考えろって話
遊園地で働いていると色んな人を見る。
ニュースでもネットでも
よく遊園地の事故や、非常停止、緊急停止なんかの記事を見ちゃう。
その中でよく起こるのが、
『ジェットコースターで電子機器を触ってるのが見えたから係員が緊急停止ボタンを押した』ってやつ。
なんのために、禁止されてるのか。
本当によく考えて欲しい。
そのスマートフォンが落ちた先に人がいたら?
ブレーキ装置に挟まったら?
最悪人は死ぬんです。
ぶっちゃけた話、別な?
おめーのスマートフォンがぶっ飛んでいこうが、バッキバキに割れようがどうでもいいんだよ。
そうじゃなくて、
ルールを守らなかった結果、
怪我をする人がいる。怖い思いをする人がいる。
それを忘れないで欲しい。
意味の無いルールなんてないんです。
あなたが出来心で、手に持っていたもので、
失ってしまうものがあるんです。
アトラクションが止まったらたくさんの人に迷惑がかかる。
別に意地悪したくて、写真撮るなって言ってるわけじゃないんです。
切実に守って欲しいお願いです。
ブログの使い方がわからない、、、
以前に燻製始めたよ!!というブログを書きました。
その記事に初めて、コメントを頂いて返信をしようと色々してるうちに記事ごと消えてしまった.....😖💧
どうなってるの~!!!!!!
コメントを打とうとするとログインしてるのにログインしてくださいという表示が出て消えない...
あれこれしているうちに返信どころか記事ごとまるまる消えてしまいました(т-т)すみません💦
p.s. 教えてくださったイカの燻製!
今度やってみようと思います!
熱燻しかしたことがないんですが、、、スモークウッド買ってみようかな🙌