done’s diary

毒親育ちの過去と今、そして未来の話。

生き方をまなぶ、とは。

家庭って1番最初に触れる社会の縮図って話を前に書いたのだけれど、家庭の次、ネクストステージは小学校の教室だと思う。

 

小学校の時の友人って今どれだけ連絡をとってるか.....? 答えは0である(こいつ友達いねーなって思ったろ?正解だ。)

 

クラスを30人として分類分けしたら、

とても仲がいい 3人

↑の子達が仲良い子 6人

話すけれど校外で約束するほどではない 10人

その他10人 くらいのコミュニティだと思う。

(僕の個人的偏見と経験を含む)

 

その中で日々を過ごすうちにその平凡を脅かす、崩すことができる存在がある。

 

それは、ジャイアンでもガキ大将でもない。

『担任』あるいは『教師』という存在。

 

特に、小学校などでは子どもたちに1番近い大人は導く存在であると同時に、支配することができる存在であることを忘れないでほしい。

 

子どもたちの輪の中で、どれだけの序列ができようとも同じ『子ども』という括りの中でどこか越えない一線というものが確実にある。

その一線を軽く越えてしまうのが教師だったりする。

もちろん導いて守ってくれる教師が大半ではあるけれど、中には白いものを黒くする人だっているわけで、『大人』と言うだけで子どもたちには大きな圧になる。

 

クラスで少しばかり浮いていても少なからず友達がいてそれで良かった毎日が教師の一言で変わってしまう。僕はそういう経験を実際にして、大人って汚いなって子供心に思ったのを今思い出す。

 

教室という小さなコミュニティの中で、

担任という存在は絶対的であり治外法権をも生み出す。

 

あぁこれって違うんじゃないかな?なんて疑問を持つことさえも許されずに今の日本社会では個性を大事になんて名ばかりに義務教育という大義名分を掲げて思考をみーんなまとめて四角く刈り取る。

 

おかしいんじゃないか、なんて声をあげれば白い目で見られる。

 

初めての社会がそんなんだから、

『足並み揃えて歩くこと』が当たり前になって

悪目立ちすれば社会的制裁だのなんだの体よく晒されて消される。

 

いじめとやらの甘い言葉で片付けられて、

『学校側も把握してませんでした』なんて白々しく泣いてみせて。

 

そうやって犯罪がもみ消されていく。

 

もちろんそんな人ばかりではないけれど、

そういう教師たちが物語の中だけじゃないのもまた事実なわけで。

 

じゃあどうすればいいのか。

 

それは『信頼出来る人間』を1人でも見つけること。

 

根本的解決にならないことは分かってる。

 

それでも極端な話、自分が死なない為に頼れる人を持つことはとても大事。

 

教室だ、小さな社会だって話の中でそんな大袈裟な...と思うかもしれないけど本当に些細で日常のその辺に生死のスイッチって転がってる。

 

昨日まで普通だった教室が、家庭が、今日から地獄に変わることだってある。

 

その中で、自分にとって信じても大丈夫な人を持って欲しい。

 

前に書いたように、カウンセラーの人でもいい。親じゃなくても、教師じゃなくてもいい。

 

あなたが死んで悲しんでくれる人を、1人でも見つけることがこの世界を、そしてクソな社会を生きるために必要なことなんじゃないかな。